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園のブログ

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「どうして、こんなに流れるの?」 昨年の記憶から始まった、水のひみつ探し

2026-07-31
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「どうして、こんなに流れるの?」
「水が強いからかな?」
「坂道になっているからじゃない?」

園庭で水と葉っぱを流して遊んでいた、やま組の子どもたち。流れていく葉っぱを追いかけながら、目の前で起きていることを確かめるように、さまざまな考えを口にしていました。

この遊びは、保育者が用意した活動から始まったものではありません。

子どもたちの中に残っていた、昨年度の年長児との経験から始まりました。
昨年、してもらったことを思い出して
昨年度、当時の年長児が「流しゼリー屋さん」を開き、今のやま組の子どもたちを招いてくれました。

流れてくるゼリーを待ったこと。うまく取れずに何度も挑戦したこと。年長児が準備し、自分たちを楽しませてくれたこと。

そのときの経験は、一年が過ぎても、子どもたちの中に残っていました。

自由遊びの中で、「去年、やま組さんが流してくれたよね」という声が聞かれると、近くにあった葉っぱを使って、流しゼリー屋さんを思い出すように水へ流し始めました。

「流れた!」「もっと長くしたい!」「ここをつなげようよ」

最初は、昨年経験した遊びをまねるように始まりました。しかし、繰り返すうちに、子どもたちの関心は「何を流すか」だけではなく、「どうしたら流れるのか」へと移っていきました。

子どもは、見たことやしてもらったことを、その場だけで消費しているわけではありません。心が動いた経験は記憶の中に残り、時間を経て、自分たちの遊びとしてもう一度現れることがあります。

昨年は楽しませてもらう側だった子どもたちが、今年は水の通り道をつくる側になっていました。
とうもろこしのひげが、そうめんになった
同じ頃、やま組では、とうもろこしの探究も進んでいました。

給食の先生に頼まれてとうもろこしの皮をむき、地域の畑を訪ね、農家の方から育て方を教えていただきました。ヤングコーンとの違いを確かめ、実際に収穫し、ポップコーン作りにも挑戦しました。

とうもろこしの皮をむいていると、長いひげを見た子どもが言いました。

「これ、そうめんになるんじゃない?」すると、すぐに、「流しそうめんごっこで流そう!」という声が続きました。

自由遊びの中で進んでいた水の遊びと、とうもろこしの活動。一見、別々に見える二つの経験が、子どもの一言によって結び付きました。

大人が活動を分野ごとに整理してしまえば、「とうもろこし」と「水遊び」は別のものです。しかし、子どもの生活の中では、見たもの、触れたもの、以前経験したことが行き来しながら、新しい遊びが生まれます。

とうもろこしのひげは、子どもたちの中で「捨てる部分」ではなく、そうめんに見立てて遊べる素材になりました。

このような思いがけないつながりを急いで整理せず、実際に試してみられる余白を残すことを、私たちは大切にしています。
水は、なぜ流れるのだろう
遊びを繰り返すうちに、子どもたちから新しい疑問が生まれました。

「なんで、こんなに流れるの?」「水が多いから?」「水が強いから?」「坂道だからじゃない?」
そこで、季節は梅雨ということもあり、雨の日にレインコートを着て、幼稚園の周りへ水の流れを探しに出掛けました。

題して、【みずのひみつ、みーつけた!】です。
雨の日の街は、晴れた日とは違う姿を見せていました。

道路の端を流れる水。坂道を勢いよく下っていく水。水たまりへ集まる水。園庭の遊具を伝う水。

子どもたちは立ち止まり、しゃがみ込み、ときには水の行方を追いながら観察しました。

「水がいっぱいあるから、速いんだ!」「坂が急だから、どんどん流れる!」「水が多いと茶色になってる」「滑り台を、水が滑ってる!」

水そのものだけでなく、水と一緒に土が動くこと、地面の傾きによって流れる方向や速さが変わることにも気づいていました。

保育者が「水は高い所から低い所へ流れます」と説明するだけなら、短い時間で答えを伝えることはできます。

しかし、子どもたちが実際に雨の中を歩き、自分の目で流れを追い、「ここは速い」「こっちはたまっている」と比べた経験には、言葉だけでは得られない手応えがあります。

冷たさや音、流れる速さ、地面の傾き。身体を通して感じたものが、子どもたちの理解を支えていきます。
砂場の「街」に、水を流す
雨の日の街探検を終えると、子どもたちは園庭で再び水路づくりを始めました。

「この前より流れるようにしたい」その思いをもとに、今度は保育者に組み立ててもらうのではなく、樋やパイプを一から自分たちで組み合わせていきました。

高くしてみる。
つなぐ向きを変えてみる。
水の量を増やしてみる。
友達と端を持ち上げてみる。
試しても、思うように流れないことがあります。
「ここで止まっちゃう」「もっと高くしないとだめかな」「水を一気に入れてみようよ」誰かの考えを聞き、もう一度組み直します。

すぐにうまくいくことよりも、「なぜ止まったのか」「次はどうするか」を友達と考え、何度も試す時間に大切な育ちがあります。

葉っぱだけでなく、どんぐりや石など、少し大きく重いものも流してみました。

「どんぐりも流れた!」「石は途中で止まった」「水を増やしたら動いたよ!」何が流れ、何が止まるのか。その違いを確かめる中で、子どもたちは、水の量や勢い、物の大きさや重さにも目を向けていました。

保育者は答えを示すのではなく、子どもたちが必要な素材を選び、途中で組み替え、何度でも試せるように環境を整えました。
「水に流れる食べ物」を探しに
遊びの中で水の流れを何度も確かめてきた子どもたちは、お楽しみ会で本物の流しそうめんをすることになりました。

ただ、そうめんを用意して食べるだけではありません。

グループごとに、「水に流してみたい食べ物」を店へ探しに行きました。

「これなら流れるかも」「大きすぎたら止まっちゃうんじゃない?」「水に濡れても大丈夫かな?」「丸いから転がるかもしれないよ」子どもたちは、これまで葉っぱやどんぐり、石を流した経験を思い出しながら相談しました。

店に並ぶ食べ物を見る視点も、いつもとは少し違います。食べたいかどうかだけではなく、大きさや形、重さ、水に濡れたときのことまで考えて選んでいました。

日々の遊びの中で得た経験が、買い物の場面で判断するための手掛かりになっていたのです。
遊びが、本物の経験につながる
お楽しみ会の日。

勢いよく流れてくるそうめんを前に、子どもたちは箸を構えて待ちました。

「来た!」「あっ、取れなかった!」「今度こそ!」流れるそうめんを目で追い、箸を動かし、何度も挑戦します。

年長になり、クラス全員が使えるようになった箸で、そうめんを一生懸命につかみました。うまく取れたときには、うれしそうに友達と顔を見合わせていました。

グループで選んだ食べ物も水に流しました。

「流れた!」「思ったより速い!」「これは途中で止まったね」食べる楽しさの中にも、これまでの遊びで生まれた問いが続いていました。

流しそうめんは、この日だけの特別な催しではありません。

昨年度の年長児が開いてくれた流しゼリー屋さんの記憶から始まり、葉っぱを流す自由遊び、とうもろこしのひげとの出会い、「なぜ水は流れるのか」という問い、雨の日の街探検、園庭での試行錯誤、店での食材選びを経て、ようやくたどり着いた経験です。
経験は、子どもの中でつながっていきます
子どもの遊びは、活動ごとにきれいに区切られて進むものではありません。

昨年してもらったこと。
今日見つけたもの。
友達が言った言葉。
雨の日に見た水。
何度も失敗しながら試したこと。

そうした経験が子どもの中で重なり、あるとき一つの遊びとして現れます。

今回の水の探究も、保育者が「水の性質を学ばせよう」と始めたものではありませんでした。

子どもたちが昨年の経験を思い出し、目の前の葉っぱを流し、「どうして流れるのだろう」と立ち止まったことから始まりました。保育者は、その問いを急いで答えに変えず、街へ出て確かめる機会や、園庭で繰り返し試せる環境を整えてきました。

すぐに目に見える成果にならなくても、自分の経験を思い出し、友達の考えを聞き、迷いながら試し、世界の見方を少しずつ広げていく時間があります。

くさばな幼稚園では、そのような生活と遊びの積み重ねの中に、人として育っていくための大切な土台があると考えています。

昨年の年長児から受け取った経験は、今年のやま組の遊びへと姿を変えて受け継がれました。そして、その様子を見ている年下の子どもたちの中にも、きっと新しい記憶として残っていくことでしょう。

「どうして流れるの?」

一つの小さな問いから始まった探究は、水の動きだけではなく、街の姿、人との関わり、そして園の中で受け継がれていく文化へと広がっていきました。
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